癒し手の体をつくる無の氣功と整膚

癒し手のゆるんだ体づくりということをほとんどのプロの癒し手の方々がまだ認識していないことが、セラピストなどの雑誌の写真や、私の教室にお見えになるセラピストや治療家の方々の多くが固まった体をしていることでわかります。


私よりも20才、30才年下の先生方でさえ、すでにもう体が固まりつつあります。体が固まれば、必ず頭、思考、心が固まります。結果、新しいことを学んだときに吸収しにくいばかりか、人間関係、仕事等々、人生すべてにおいてぎくしゃくし始め、生きづらくなるため、幸せになれません。


私はかなり若い頃、10代の頃から、自分の体の緊張、固まり等々を自覚していて、何とかできないかと本当にたくさんの方法を実践、研究してきました。


ディスコに行って酒を飲みながら踊りあかすといったこともその一つで、フロアの人混みの中で、例えば、わずか30センチ四方の中で、いかに自分の踊りのなかで自分の心と体が解放される動きはないか、酔っぱらいながらも曲の種類によって使い分け、楽しんでいました。すべて感覚のダンスです。


社交ダンスのような決まりきった型の中で動くほど体が固まり、思考も固まります。このことはダンスに限らず、すべての人間生活に当てはまります。いつも同じ型にはまった体の動かし方しかできない人は、人生すべての生き方が型にはまったものとなり、命(体)が蘇り、輝くような生き方ができなくなってしまいます。


命(体)というものは、生々流転、常に流れていく状態がベストであるのに、ほとんどの方々が、驚くべきことに、プロの癒し手や健康法の先生までもが型にはめ、固定化して固まるような仕事のやり方をしてしまっています。


こと、気・エネルギーなど目に見えない世界を扱っていた場合、教え、理論理屈、教義等々、頭脳で、言語の世界で解釈し、やればやるほど型にはめ、固まったほうに行くため、無限の可能性が無くなり、有限の限られた世界の中でやるため、人を癒し、治したりした分、その反作用として悪いものがどこかにたまり続けるといったような治療をしてしまっていることが多いのをよく見かけます。


頭、思考でこのエネルギーはああだ、こうだとか解釈し、言うことで、必ず自然でなく、人工の気・エネルギーをつくり上げることになり、結果、狭いものとなってしまいます。


こういった弊害を膨大に見聞し、自分でも実体験し続けてきた結果、何もない、何もしない、無私無我無欲の無の氣功となりました。


自分の体を強くて高い氣が多量に入り、流れ出る体になればなるほど、癒し、治しはすべて自動で勝手に起きるものとなります。だから、相手の体にそっと手を触れるだけでも癒しが行われるため、整膚をした時も効果が高まります。


先日、私はサーフィンをした後、デッキで酒を飲んでいたら、生協のお兄ちゃんが配達に来て、事故で首と肩を痛めたとのこと、デッキの椅子に座って頂き整膚をしたら、2分ほどで、その場での完治をしたので、お兄ちゃんも驚いていました。私は酔っぱらっていたので、酔拳のようでした。お盆の時も酔った状態で、極真空手をやっている従兄弟の腰痛をほぼ3分の整膚で治しました。


これらのことを考えると、酔ってゆるんだ状態で行うことで、より整膚の効果を出せることがわかり、そこには高めに高めてきた氣が自動的に働いていることがわかります。


酔っていなくても、普段から体をゆるめることを常時、間断なくやり続けているため、私の施術、遠隔の氣功は、すべて自動的に勝手に癒しが起きてしまいます。


順ちゃんのホットドッグ屋さんで座って談笑していた時も、後ろから男性を嫌がるチワワが私めがけて突進してきて、私の足にじゃれついてきたことなどは、私は全く無意識で、チワワに対して氣を送ろうなどと微塵も思っていなかったのに、常時間断なく私の体から高くて強い癒しの氣が発せられていたことの証明です。


この状態を私はさらにさらに高め、強化するために生きて生活していることが、私の癒しの人生そのものなんです。だから、自分で癒しや治しを敢えて行わないということが言えるんです。


教室にお越しの皆さんは、あるいはまた遠隔だけを受けていても、その志がある方々はみんな誰でもできるようになります。現に、私の母や妻、以前から教室にお見えで、ご縁をその方自ら断ち切ることをしない方々はすべて、もうできるようになっています。


で、一番重要なことは、本当の本物の癒しの神様のような存在とのご縁を大切にできるか否かです。この本当の本物の癒しの神様とのご縁がある限り、あるいはそのご縁を太く濃くすればするほど、プロの癒し手で生じる様々なリスクから我々を守って頂き、より楽しい仕事ができるようになるため、より繁栄していくことができるということです。


このことのご理解を深めて頂くために、繰り返し繰り返しの施術の延長のような氣と整膚の教室にできるだけたくさん通って頂くことが、コピーを繰り返しするように、確実な癒しの技と力を身につけ、高めていくことができるようになっています。


繰り返し繰り返しの作業に飽きてしまう人は、その時点でもう上記のような楽しさをご理解できていないため、本当は繰り返しの連続であるすべての人の人生の生活がやはり楽しくないものになってしまいます。


私の勧めで、ある整膚を志した人が整膚も奥が非常に深く、学べば学ぶほどまたさらに奥があるというようなことをおっしゃっていましたが、こういったことがわかる人は本物になれます。


私の教室にも個性の強い人がいますが、教室での人間関係で余分なプライドが傷つき、行けなくなったといった話をお聞きしますが、その方の家庭や職場においても同じく、人間関係においてストレスを抱えていることが共通のこととしてよくお聞きしています。家庭は社会の縮図とも言いますが、身近な人とうまくいかなければ社会に出ても同じで、生計を営むための仕事も同じで、不幸になるということです。


私の教室では最低限どんな人でも誰でもできることを基準にご指導していますが、これができなければ何をやってもダメで、やはり幸福になれないでしょう。その元となるのが体の状態であって、体がゆるんでいるか否か、ゆるんでいる人ほど幸せになれるということです。


名人、達人、カリスマ、有名人等々を決して目指さないでほしいです。その代わり、できるだけ快を味わい、できるだけ楽しさを味わっていただき、喜びを倍増させる体の動かし方、イコール生活の仕方、生き方を学んでいただきたいんです。


ここには教えや教義等々、人を洗脳管理するグループ、団体、組織、支配者が一切いませんので、そういった人達に支配管理されていないと不安であるといった人々は向いていません。


ただ人間関係において何かちょっとしたことで余分なプライドが傷ついても、こんちきしょーといって、俺は私は絶対にやってやるといった根性が必要です。打たれても打たれてもめげずに這い上がってくる根性が必要なんです。多少大げさになりましたが、このど根性があってはじめて、すべての人の共通の人生も幸せになれるということです。私自身もそうであるため、私の回りにはど根性を持った人しか残りません。


今はこういったことが極端に嫌われ、薄れた結果、多くの人々が不幸な人生を生きている、必ず不幸になるといったこともよく見聞しています。例えば、お年寄りになっても、バリアフリーでなく、バリアアリーとしてお年寄りに何でもやらせた施設の入所者はみんな元気になっているそうです。


余りにも後生大事に、傷つかないように傷つかないように、失敗しないように失敗しないように、損しないように損しないように生きようとして、今の仕事で生活できているから、まあそれでいいやといったような甘い考えでなく、常に挑戦すること、チャレンジ精神をもって進んで生きていく人だけが幸せになれる時代にもうすでになっていますよ。


誰でも例外なく、後生大事に傷つかないように傷つかないように、失敗しないように失敗しないように、損しないように損しないようにして生きることで、必ず不幸になります。なぜかというと、体(命)は常にゆるんで流れるように生きたがっているからです。もっともっと挑戦し続けましょう。チャレンジし続けましょう。常に体(命)がチャレンジして挑戦し続けようと生きているからです。